収穫シーズン到来
いつの間にか夏になっていた。暑さがとどまることを知らない7月。順調に育ってきたスイカは14日に初収穫を迎えた。いよいよクライマックスとなるスイカ作りであったが同時に皆の疲労もピークに差し掛かっていた。作業中の会話も春先と比べるとどこか少なめ。疲れと暑さによる苛立ちで自然と口数が減ってしまうのは致し方がない。畑にはラジオ(AM)の音が一段と響き渡る。


収穫も4人がかりの作業となる。まず収穫できそうな状態のスイカをツルから切り離して通路に移動するお義父さん、それをタオルで拭き取る妻。後ろからピンクレディー(上の写真参照)と呼ばれる台車を操作して回収に向かうお義母さん。最後に私がスイカをピンクレディーへ入れていく。荷台がある程度一杯になったら一旦トラックへ向かい、毛布とクッションで受入体制万全の荷台へ積み込んでいく。丁寧な手入れのおかげで大きく育ったスイカは形も良く重い。ずっしり身がつまっているようだ。このスイカはどれくらい甘いんだろうか…なんてことを気にしながらこの一連の作業を何度も繰り返していく。荷台がスイカで一杯になれば後は選果場へ。ところがこの日は諸事情により翌15日に持ち越し。翌日荷台のスイカを全てベルトコンベアーへ降ろして第一弾の集荷は無事終了!この時点でけっこうくたびれていた私だったが、まだ一度目が終わったばかり。お盆の頃まで収穫と出荷はほぼ毎日続いていく。

スイカの海にて
ハイライトは突然やってくる。7月16日に焦燥しきった声で妻から連絡が。お義父さんが体調不良のため入院するという。親戚や地域の方が手伝いに来てくれるらしいが男手がないのは色々な面で厳しい。私はこの週の午前中の予定を全て午後に調整するなり次週へ移動するなりして予定を調整しその日のうちに尾花沢へ向かう。
7月17日、早朝4時30分に作業が始まり終わったのが大体7時半くらい。朝ごはんをいただき休憩というより爆睡…12時頃に選果場で出荷を終えて午後から昼寝(とにかく寝ないと体力が戻らない)を経て茶の間でPC作業を。晩御飯をいただき21時には就寝。一見規則正しい生活のようにみえる。が早くもカラータイマーが点滅している気がする。それを気にしないでとにかく眠る。明日は午後から山形で打合せだ。

7月18日は朝からあいにくの雨模様。カッパを着込んで収穫し10時頃選果場へ。トラックから降りると館内で花笠音頭が流れている…?ベルトコンベア故障のお知らせらしい。結構時間がかかっている。待っている間暇なので周りを見渡していると60〜70代くらいの方が目につく。そうなると50代が若く見えてくる。全く世の中人手不足とよく聞くけれど、20代30代の若者はどこで何をしているんだ…などと心の中でぼやいていたがまだ機械は直らず、花笠音頭が鳴り止まない。結局再稼働まで1時間ほどかかってしまい午後の予定が押してしまった。

12時すぎにようやく山形に向かけて出発。道の途中とある中華料理屋で腹拵えを。何を食べたか定かではないが量が多かったというのとやけに辛かったことを記憶している。その後山形へ着き、打合せを経て保健所申請のため霞城セントラルへ。ふとビルっていいなぁ。そんなことを思ってしまった。普段は気にしていなかったが今日はやけに山形が懐かしい。それはそうと所用を終え帰路に着く。晩御飯はお義母さん特製の唐揚げ(無限に食べられる)で、体力をつけねばとついつい食べまくってしまったわけだがこの食べ過ぎが良くなかった。
7月19日。朝起きた時に違和感を覚える。胸焼けのような消化不良のような…って昨日の昼と夜のことが思い起こされる。しかも気持ち悪くなってきた。だけどまさか食べ過ぎで調子悪いなんて言いにくいので何くわぬ顔で収穫を乗り切る。朝食…食欲がでない。これは良くないなと思いならもいつも通り食後の仮眠。ところが昼近くになっても起きれない。カラータイマーが切れてしまったウルトラマンのように動くことができない。おかしい。体が重いばかりか熱っぽい。測ってみたら37.8度。こうしてハードな収穫は体験は情けないことに戦線離脱というまさかの結末を迎えてしまった。不幸中の幸といっていいのか、この日お義父さんが無事退院できたことはせめてもの救いであった。
7月20日。朝のゴミ出しを終えた後は泥のように眠り続け気がつけば12時。体温を測ってみると平熱だったので、若干胃腸の調子は悪いが元々約束のあった接待へ。いつもの七日町の明かりはいつもより眩しかった。


8月は花笠祭りの準備やら後始末(別記事参照)に忙殺され、なんやかんや間隔があいてしまったが14日、この年最後の収穫にはなんとか参加できた。トラックに詰めるだけ積んだスイカの数は300個!今年は猛暑続きだったため、さくらんぼ等果樹農家はかなりの打撃を被ったと聞くがスイカに関しては例年通りの収穫量と品質を保つことができたと聞きまずは一安心。とはいえ日本列島が温暖化していく中で寒冷地かつ盆地由来の寒暖差が美味しいくだものを数多く生産している山形のその地位が揺らぎ初めているのも事実だろう。
途中トホホな出来事もあったが振り返ると、今年は今まで以上に多くの行程に携わることができたのでそれはそれで嬉しい。と同時に私がさわった範囲はスイカ作り全行程のほんの一部であることも実感した。言葉にすればするほど陳腐な表現になってしまう気もするが、やっぱり畑仕事(スイカに限ったことではないだろうけど)は容易いものではない。それとやはり気になるのは選果場で感じたあの若手の少なさ。巷ではどの業種も人手不足と聞くが、反対にどこか過剰に人が集まっている所はあるのか?それもない?人口の総量そのものが減っているのだから仕方ない…では済まされない問題が起こりつつある。もっと様々なことを学ぶ必要がありそうだ。