ブリュワリー探訪

「ちょうどこれから干し柿のビールを仕込むところなんですよ!」と弾むような声で教えてくれたBrewlab.108の代表の加藤克明さん。かつてはエンジニアとして日本からシンガポール、サウジアラビアと活動拠点を移しながら、いつしか酒造りに魅了され辿り着いたのが醸造家という生き方。数あるお酒の中でクラフトビールの何が加藤さんの生き方を決めたのか。
「元々お酒全般が好きでしてね。クラフトビールにハマり出した確かシンガポールにいた時、向こうは女性でも昼からビールを嗜んでいる方もけっこういるんですよ。で気になって飲んでみたら日本のビールと全く違った味わいで。特に好んで飲んでいたビールの一つがアイリッシュエールでした。」
…ちょっと聞き慣れない単語「エール」とはビールの発酵過程によって細分化していくビアスタイルのひとつ。ここにクラフトビールの魅力がある。と加藤さんは言葉を続ける。
「何といってもその自由度の高さに魅了されています。醸造家が自身の感性に忠実に、感覚を信じてビールを造る。そして自分が身を置く環境・風土からも影響を受けていく。」
今、加藤さんの口から「風土」という言葉が出たが、現在日本国内には800以上もの醸造所が存在するという。どのどれもが個性的で、地域色を打ち出し切磋琢磨している。あくまで作り手のパーソナルな部分に由来するクラフトビール。私が取材を通じて知りたかったポイントがここに在る。ビールの個性を表現する上での醸造家の勘どころ…それが何なのかを自分の目で確かめてみたかったのだ。
出発点

論より証拠ということで「まずは工程を見てください!」と作業着に身を包んだ加藤さんに案内されいざプラントの中へ。ふと片隅に麦芽がぎっしり詰まったモルト袋が並んでいる。干し柿ビールを造るにあたり、加藤さんはいくつか旗を立てた。
「干し柿から連想できるもの。例えば古来の保存食であったり昔の日本の家庭…といった所でしょうか。このイメージを体現できるビアスタイルを考えた時に、ヨーロッパのビアファンの間では伝統的なビールと捉えられているアイリッシュエールが浮かびました。深い味わいは古き良き日本を、朱に染まった彩りは干し柿のイメージと結びつき、これだ!と思いましたね。」
目指すビール像、明確なイメージを組み立てたうえでそれを工程に落とし込んでいくのがビール造りの肝かもしれない…そんな仮説(?)を胸に作業を注視していく。一袋で重さ25kgもあるモルト袋を抱えて足場に上がる加藤さん。ビール仕込みの前段階「粉砕工程」が始まった。


一袋、また一袋と砕かれていく麦芽達。ガガーッという粉砕音と共に麦の素朴な匂いがほのかに広がっていく。「今回は英国産の最高品質麦芽をメインに、キャラメル麦芽を組み合わせています。前者はコクや味わいを。後者は甘味と色味を演出してくれます。」実際に粒状の麦芽を食べさせてもらった。確かに風合いの違いをはっきり実感できた。なんとなくだが麦芽の種類によって粒の細かさが違うように見えたので聞いてみると「そう!これは粒度といってその粗さによって仕上がりも変わってくるんです。麦芽の種類、分量についても同様のことがいえます。」と、この加藤さんを話を聞いて、私が知りたがっていた醸造家の勘どころはこの時点ですでに始まっていることに気づいた。ビール造りはまだまだ始まったばかりだというのに。
クラフトビールは一点物

ここからは「仕込み」と呼ばれる一連の工程を追っていこう。発酵への足がかりとなるこの過程で麦芽はもろみ、麦汁へと変化し発酵までの準備を整えていく。それと並行するように加藤さんは自身が描くイメージを作業に落とし込んでいく。その様子はとてもスリリングなものだった。仕込みとはビアスタイルを決定づける分岐点でもあるのだ。
◻︎糖化工程
粉砕された麦芽を仕込み樽へ投入し加熱す、別名もろみづくりとも呼ばれる。「アミラーゼというタンパク質を分解してくれる消化酵素が活性化する温度域を狙っています。この作業は温度と時間の管理が繊細なんですよ。」と加藤さん。徐々に樽から蒸気が立ち上っていく。「今回は段階的に糖度を上げていくステップインフュージョン糖化法をとっています。」樽の中が一定の温度に達したら糖化終了。



糖化されることで麦の匂いが甘みを帯びてくる。「自分の舌での確認は欠かせません。」と、糖度チェックは仕込みの要所要所で行われるという。
◻︎濾過工程
もろみ状態の麦芽を籾がら麦汁に分離する作業。ロイター板と呼ばれる無数の穴が空いたこの板は、パイプを通じてタンクの上から流れてくる麦芽を受け止め、循環させることによって大きい籾がらの粒に小さい粒が積み重なることで麦芽のフィルターが出来上がる。これが濾過装置となって、はじめは濁っていた液体がクリアになっていく。麦汁の誕生である。


循環を経てクリアになっていく麦汁。ちなみに濾過の初期段階で抽出される麦汁を「一番搾り」と呼ばれる。


濾過と並行してでペースト状の干し柿が加えられる。今回の仕込みに使用された干し柿は12㎏。ちなみに加工は加藤さんの妻・佐織さんが2日がかり(!)で加工したという。


濾過が終わった麦汁は再び仕込み樽へ。そしてタンクに残った籾がらは畑の肥料に「いつも副原料をいただいている果樹農家さんへ還元しています。」と、この言葉からBrewlab.108設立時から一貫する”クラフトビールを中心とした循環する仕組み作り”の大切さを唱える加藤さんの姿勢が窺える。
◻︎煮沸工程
ビールとして輪郭がはっきりしてきた麦汁へ、目鼻立ちをつけるホップを投入し加熱していく煮沸。品種によって風味やアロマと呼ばれる上立ち香が異なるホップだが、入れ方によってもその作用は変わってくるという。今回加藤さんが採用しているのがケトルホッピングと呼ばれるホップを何度かに分けて投入する方法だ。他に煮沸前や発酵後に入れるやり方もあるそうで「煮沸する時間もそうですが、このホッピングによって苦味や香りのつき方は全く違ってくるんですよ。」と加藤さん。目指すビール像へ辿り着くまでに一体いくつの選択肢があるのだろうか。


煮沸後の麦汁を飲ませてもらう。麦の甘さにちょうどいい苦味が感じられ「色味も狙い通り」と加藤さんも好感触だった。



プラント奥にある発酵タンクへ麦汁を移送するためパイプの洗浄、冷却装置の設定が行われる。仕込みは佳境を迎えていた。
◻︎発酵工程
全ての麦汁が発酵タンクへ送られたところを見計らって「15分ほど経ったら酵母を入れます。」と話す加藤さん。少し間を空ける理由は麦汁そのものを落ち着かせるためという。そもそも発酵とは一体何なのか。それは酵母の働きによって麦汁の糖分がアルコールと炭酸ガスに分解され、いよいよビールの体をなす仕込みの集大成である。またビアスタイルに合わせてその手法も変わってくるようで「エールの場合はエール酵母を使い、タンクの上の方で発酵させます。」この上面発酵という手法は冷蔵技術が発達していなかった19世紀以前から用いられていたらしく、ここにも「伝統」というキーワードが散りばめられていた。


三度目の糖度チェックを終え、酵母を投入したところで一連の仕込みは無事終了。
ひとしきり作業を終え、ようやく一息かと思いきや「ビール造りはこれからが本番です。」と加藤さんは言う。発酵させた麦汁を「貯蔵」し時間をかけて不要な香味成分を揮発させる「熟成」工程が待っている。「酵母の働きは未知の領域です。日々変化を見逃さないように、手を掛ける必要があるのか、そのまま委ねるか…リリースのタイミングに影響してくる。この見極めが重要になってくるんです。」
…酵母と向き合う日々はなんと2ヶ月に及ぶ。とにかく、醸造過程における選択肢に多さに驚かされた。加藤さんの言葉を借りれば「組み合わせは無限大」ということか。改めてクラフトビールは生ものであると作業を振り返って実感した。繊細で、常に体も動かし続けるビール造りは相当な労力を要するに違いない。しかし加藤さんをチラリと覗いてみると、その表情に一点の曇りはなく、むしろ充実感のようなものがほとばしっているようにも見えた。「うちは名前の通りマイクロブリュワリーであり、ラボラトリーでもあるんです。試行錯誤は望むところですよ。」と語る加藤さんのクラフトマンシップに改めて感服した。
Beast Busters

「猿がね。山から降りて来るんですよ。」柔和な面持ちで訥々と話す姿が印象的な五十嵐さん。「昨年の秋、集落全体にビラを配って、収穫する見込みのない柿を一軒一軒まわって獲りました。柿が甘くなる前にです。」Brewlab.108に干し柿を提供してくれたのがこの方、ビールの仕込みから数日後、私は尾花沢を訪れた。干し柿ビールの発案者であり「清流と山菜の里ほその村」の代表を務める五十嵐幸一さんの話を聞くためである。


「ほその村」は地名ではない。正式には尾花沢市細野、つまり地区名であって「ほその村」は団体名となる。同団体は2010年、退職したばかりの五十嵐さんが発起人となり発足した。付近の山々をはじめ地域そのものを活用したアクティビティや特産品を企画したり、田畑の事業継承や荒廃地の再開発など、ソフトとハードの両面を網羅した活動はいつしか地域起こしのロールモデルとなり、農林水産省をはじめ数々の機関から高い評価を得ている。



この日はタイミングよく台湾のツアー客が来ており、私は見学がてらこのツアーに同行させてもらうことになった。おもてなしの主役は五十嵐さんいわく村のかあちゃん達。Brewlab.108が命名したオバネーゼと呼ばれる方々の手料理が振る舞われ、食事の後は雪深いこの地ならではの滑り台体験。ひとしきりツアーの様子を見届けた後はレストランの一角を借りて五十嵐さんの話をじっくりと聞かせてもらった。


「Brewlab.108さんとのコラボは2回目なんです。最初はうちのメイプルサップを使ってもらって、今回は干し柿です。私が柿をとって、オバネーゼが干し柿を作ってくれました。」昔は家の庭や畑に何かしらの木を植えている家庭が多く(私の実家にも柿の木があった)、郡部へ向かうほどその傾向は強まっていく、山間に位置する細野ではそれゆえに深刻な問題を抱えていた。鳥獣被害である。
「柿が晩秋から冬にかけて甘くなります。ところが高齢化が進んで柿を収穫しない家が年々増えてましてね。カラスに熊、そして猿。寒くなって餌が少なくなる頃に柿は動物達にとっていい獲物ですよ。柿だけじゃなく、他の農作物の食い荒らされる家もあって、集落にとって頭の痛い問題だったんです。」
ならばとられる前に獲ってしまえと、昨年9月に五十嵐さんは柿の収穫代行を実施。集まった柿の総量は約1tに及んだ。このとんでもない量の柿を見事に采配してしまうところに五十嵐さんの手腕の冴えを感じる。「柿渋と干し柿にかえて、柿渋はデザイナーさんに頼んで染め物に、干し柿はクラフトビール開発に使ってもらいました。特にクラフトビールに関しては以前頼んだメイプルサップビールも大変評判が良かったんで、大いに期待させてもらってます。」

ピンチはチャンスという常套句があるが、それを実行することは容易いことではない。村おこし、まちづくり、新聞やニュースに現れては消えていく言葉達。しかし実際にそれを継続し結果も出して、また新しい挑戦を続けている。五十嵐さんはじめほその村の方々。そういえば以前加藤さんがこんなことを言っていた。「生産者の方には最大級の敬意を持ってビールを造らせてもらってます。ある意味肩にのしかかってるというか。最高の素材を託してもらって最後の最後に失敗なんかできないからね!責任重大ですよ。」五十嵐さんから加藤さんへ、手渡されたバトンは重そうだ。
地図の書き換え

あくる日加藤さんから連絡をもらい再び醸造所へ。仕込みからおよそ2ヶ月が経っていた。最終工程のひとつ「酵母抜き」が始まった。発酵タンクのレバーを降ろし、タンク下に置かれたバケツにはドロっとした固めのシェイクのようなものが堆積し、次第に泡味を帯びていく。こうして死にかけた酵母やホップ粕が抜けた後はテイスト確認へと移っていく。


グラスに注がれるビール。レッドエールのそれはまさに干し柿色。その後別のコップを用意して口に含んだ時に感じる味覚や嗅覚を確かめる加藤さん。少し間をおいて、第一声「イメージ通り!」とその言葉が聞けてなぜか私も安堵した。「まだ濁りは少し残ってますが、最後の濾過があるんでもう少しクリアになりますよ。」これからビールは貯酒タンクへ。その間フィルターでの最終濾過を経ていよいよ瓶詰め、ラベル貼りと残された作業もあと僅かとなってきた。


ブリュワリー探訪もいよいよ最終日。プラント内にプシュー、プシューと規則正しく響く機械音。これは瓶の中を一度真空に、タンクと瓶の圧を均一にして、泡を立てないようビールを注入、即打栓する「瓶詰め工程」。それと同時進行で佐織さんも大忙し。初摘みの完成品をラベル貼り機にセットし、一本一本丁寧にラベルを貼り付けていく。


#五十 Hoshigaki -Beast Busters-
ほその村をイメージさせる山々と、柿を手に逃げ惑う猿があしらわれたラベル。強いメッセージ性とキャッチーさを感じさせる素敵なデザインだ。と、ここで佐織さんの携帯が鳴った。電話の主は五十嵐さんであと1時間ほどでここに到着するという。まさか引き渡しの場面にも立ち合えることになるとは思ってもみなかった。


五十嵐さんが到着し、早速の記念撮影の後、作業も少し落ち着いた加藤さんに佐織さんも交えたしばしの談笑。干し柿ビールの出来栄えやラベルに込められたメッセージを嬉しそうに語る加藤さん。「実は#50は五十嵐さんの苗字から頂いたナンバリングなんですよ。」とちょっとしたサプライズを聞いて照れ笑いを浮かべる五十嵐さん。いい時間が流れている。「おかげ様で、前の秋冬は被害がほとんどなかったんですよ。」との五十嵐さんから嬉しい報告。ビール造りを通した地域貢献の一旦を聞けて私も嬉しかった。このビールが沢山売れますようにと、心から思う。

蔵元を訪ねる。酒飲みにとってこれほどときめく言葉はない。酒…というよりビールに対する探究心がいっそう加速した私はほぼ毎日、どこかしらのクラフトビールを飲んでいる。それにつられるようにビール嫌いなはずの妻も一緒に飲んでいる。そんな話を佐織さんに伝えたところ、こんなことを教えてもらった。Brewlab.108の商品はビールの苦手な女性にも飲みやすいビールを目指してる部分もあるという。「メーカーのビールってキンキンに冷やさないと…ってイメージがあるでしょう?あれが女性のビール嫌いを助長している側面もあるんですよ。ホップは冷やしすぎると香りより苦味が立ってしまうんです。」確かに喉越しやキレといった要素は男性向けの要素が強いかもしれない。加藤さんの話も聞いてみると「そういう画一的なイメージ戦略に対する異議申し立てのようなものは当然あって、ビールって本来誰でも楽しめるものなんですよ。というところは伝えていきたいですね。」クラフトビールの多様さ、奥深さに惚れ込んで醸造家を目指してしまう…実際そういったケースは全国、世界的に多いという。クラフトビール、恐るべしである。
色々なビールを飲み比べているうちに好みなビアスタイル(ちなみにヴァイツェンでした)を見つけた私は、もう一つ加藤さんに聞きたいことができた。「加藤さんおすすめのクラフトビールの飲み方ってあるんですか?」
「特にないんですよね。自由に楽しんでもらえれば…田中さんみたいに自分好みのスタイルを見つけてもいいし、あるいはペアリングも面白いし、クラフトビールが好きな方同士が仲良くなって、意見交換なんかしてくれるようになったら、もう最高です!」
