山形の企業 2026.01.31

実相寺の今までと、これからと

お寺の帰り道

初めて実相寺を訪れたのは一年前の海の日だった。駐車場をまるごと使ったそのイベントは、屋台やキッチンカーが立ち並び、マジックやらキッズダンスやらバンド演奏で賑わうフェス的雰囲気は「ここお寺だよね?」と思わせるには十分過ぎた。

 

聞けばここの住職さんがプロデュースしたという。これはゆっくり話を聞かなければ…と思い、私は再び実相寺に赴いた。あの日遠くから眺めるだけだった山門をくぐって。

 

 

 

INFORMATION
遍照山 光明院 実相寺/住職 鬼海明珠さん
遍照山 光明院 実相寺/住職 鬼海明珠さん

山形市十日町の浄土宗寺院。境内の観音堂は山形三十三ヶ所観音霊場に指定される。鬼海さんは当寺院の24代住職。お勤めや仏事、イベント企画など多忙な日々を送る。その様子が綴られる公式Instagramは檀家さんのみならず隠れファンが多いとか。ちなみに愛猫家である。

 

Instagram:https://www.instagram.com/jissoji_temple/

寺フェス参戦の思い出

7月23日はいかにも海の日らしい…アスファルトが焼けつくようなイベント日和だった。「今度お寺でクラフトビールを出すんだけど一緒にやってみない?」とbrewlab108の加藤さんに誘われ、私は炎天下の元、さらに熱気と煙が充満するテントの中で牛串を焼いていた(細かいツッコミは置いておいてください)。

実相寺観音祭りと銘打たれたそのイベント。町内会のビアガーデン的なこじんまりとした感じを想像しながらいざ行ってみると、立派なマルシェ?いやフェス感が満載だった。会場となる駐車場が人でごった返すほどの大盛況。しかも当日限定の御朱印販売や写経体験ができたりと、お寺ならではの催しも揃っているあたりにセンスを感じた。

スタッフと一緒に枝豆を売りながら忙しそうに立ち働いているのが主催者でありこのお寺の住職の鬼海さん。物腰がやわらかく、イベントの仕掛人というよりやっぱりお寺の方といった落ち着いた雰囲気を身に纏っている。私も時折イベント事に携わる身としては色々話を聞いてみたいと思ったが目の前の牛串を焼ききらないと帰れなくなってしまう。一旦、この日は出店者としての役割を全うしてお寺を後にする。

寺フェスが終わってからも、あのお寺の様子はなんとなく気になっていた。時々更新されるインスタには人形供養をはじめ色々なお寺の催しや日々のことが綴られていて、内容もさることながら鬼海さんの人柄が滲み出るような文章が私はなんとなく好きだった。うーん。やはりこれは直接お会いしてゆっくり話を聞いてみないと…そんな思いが募った私は、加藤さんの伝手を借りて再び実相寺を訪ねることになった。

実際シンプルな浄土の話

秋深まる11月。あの日の喧騒がうそのようにひっそりとした佇まいの境内にやってきた。ここ実相寺の興りは慶長2(1597)年。今から遡ること429年前…と想像するといまいちピンとこないが、放送中の豊臣兄弟!の後半部にあたる時代と思ってもらえれば分かりやすいかもしれない。

「どうも、わざわざありがとうございます。」と鬼海さんが丁寧に迎えてくれた。早速本堂に案内してもらう。障子扉を開くと、目の前に広がる荘厳な装飾に思わず息を呑む。思わず「うわ。すごいですね…」なんて凡庸なリアクションをとってしまう私。

「この煌びやかな世界観は極楽浄土を、金箔は黄金の光をイメージしていると言われてるんですよ。」本堂の中心、その奥に祀られているのがご本尊・阿弥陀如来像。実相寺が宗派とする浄土宗が拠り所とする仏様である。

ナムアミダブツ。誰もが聞いたことがあるこの言葉の意味を知っている人はそう多くない。インドを発祥とし中国を経由地して日本に伝番された仏教。様々な教えや経典がある中で、その言葉がひとり歩きしているような印象が強いこの念仏はサンスクリット語のナマスの音写の仏教用語が元になっている。サンスクリット語で帰依しますという意味が「南無」。つまり、簡単に言えば、阿弥陀様お願いします。という訳になる。さてそのお願いとは?

「仏教の教えでは、私たちの生き死にが輪廻転生を繰り返すものと定義付けられています。仏教では輪廻転生は、苦しみとしており、これを解放する為に、阿弥陀さまが作った極楽浄土があるので『極楽浄土へ行けますように。お願いします!阿弥陀様!』という意味なんですよ。」

ナマスの音写

ナマス(namas)の 音の響きに「南無」という文字を当てて書き写すこと

輪廻転生

全ての生き物は六道と呼ばれる「地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天」を繰り返しているという考え

なるほど。だけど自分の行く末を阿弥陀様に委ねてしまうという。どこか他力本願にも似たニュアンスを感じてしまうのは気のせいだろうか?「まさにそうなんです。他力なんです。もう自分の力ではどうすることも出来ないから仏様に全てお任せしようと。そんな気楽さが浄土宗にはあるんですよ。ちなみに他力本願だって元々は仏教の言葉なんですよ。」

身分も何も関係なく、一切の人を救おうとする阿弥陀如来様の願い。しかしその願いが日の目をみるまでは、仏教伝来より数百年もの時間を要することになる。「平安時代に浄土宗を広めた法然上人というお坊さんがいました。当時の仏教はとても敷居が高く、信仰という行為は普通の人には手が届きにくいものだったそうです。そんな世の中に対して『難しいお経が読めなくても寄付ができなくても、ただ南無阿弥陀仏と唱えるだけでいいんですよ。』と説いてくれた上人の言葉で沢山の人が救われたんです。」

鬼海さんの話は簡潔で、頭にスッと入ってくるから不思議だ。仏教に限らず宗教ってもっと小難しいものだと思っていた。「それは私がまだまだ勉強中だからですよ。そもそもお経ってすごく難しいですから!」あ〜そんな風に言ってもらえるとお寺の方でもやっぱりそうなんだ。と何だか安心できる。

「法話といって仏事の後に檀家さんへ阿弥陀様や法然上人の言葉をお伝えする場がありますが、この時もなるべく手短に分かりやすい言葉でと努めています。『もういいは〜』なんて思われたくないですからねぇ。」

法然上人

飛鳥時代から日本に伝わっていた仏教を、分かりやすい考えと言葉で広く浸透させ、浄土宗を開いた上人

古着と猫と仏教と

愛猫家の鬼海さんはいつも沢山の猫に囲まれて暮らしている。自宅に3匹、お寺に2匹。元々小さい頃から猫を飼っていたのかと思えば、実は真逆で「ペット厳禁の家庭だったので小屋でこっそりハムスターを飼うのが精一杯でした。」

「初めて猫を飼ったのはハムスター時代からずっと後です。その頃は古着屋だったたなぁ…。」

鬼海家は曽祖父の代よりここ実相寺の住職を勤めている。「いわゆるお寺の家で育った私は姉や妹たちみたいに早く家を出たいとといつも思っていたんです。お嫁さんになるか、自立するかみたいな。」話はすこし昔の七日町に遡る。八文字屋本店の裏通りにある小さな古着屋さん。そこに鬼海さんのお店があった。

「古着がすごく好きで、とにかく自分の店を持ちたかったんです。七日町で有名だった古着屋さんに、募集もしてないのに無理やり頼み込んでバイトして、色々勉強させてもらって独立しました。確か1999年だったかな。小さいお店ながらも夢が叶って嬉しかったですね。はじめの頃は……」

買い付けから販売、さらにお客さんにDMを送り、さらに経理と全て一人でこなしていた鬼海さん。2000年代前半の七日町は今に比べるとまだまだ活気があった時代。服屋さんの街、若者の街であった。忙しいのは商売繁盛のいい証拠。しかし一人社長、一人社員の鬼海さんは当然休みも取れず、睡眠時間を削りながらどうにか目の前の仕事をこなす毎日。「元々無理がきく体質でもなかったので辛かったですね。それでも7年ぐらいは頑張ったのかな。だけど最後の方は体を壊してしまって…それでお店を閉めました。」

残ったのは大量の古着と抜け殻のような自分。在庫についてはちょうど同じ時期に服屋さんを辞めた友人と一緒に出店回りをすることで減らすことができたが、メンタル面はなかなか回復しなかった。とにかく燃え尽き症候群のような状態でした。と当時を振り返る鬼海さん。「その頃、母が祖父の介護をしていたので、その手伝いをしながら少しずつ古着を売ったり、さくらんぼの仕分けバイトをやったりとマイペースに過ごしていました。再就職もしませんでした。もう服屋さんで人生やりきっちゃったんだよね。後はもう余生みたいな…」

鬼海さんいわくダラダラと過ごす日々が何年か続くなか、突然お寺の後継ぎ問題に直面することになる。当時住職を勤めていた父が急逝してしまったのだ。「うちは5人兄弟なんですが、皆嫁いでしまったので結局後を継げるのは私しかいなかったんですよ。でも継ぐ気はやっぱりなくて。こうなったらお見合いでいいお坊さんを見つけて継いでもらおうと考えたんです。」

「…今にして思うと自分都合ですよね。」と鬼海さん。いい出会いとは求めるとかえって遠のいてしまうものなのかもしれない。ただ、婚活がうまくいかなくてもいつも傍にいてくれたのが家の猫だった。「猫って言葉を話さないじゃないですか。だけど何か、わたしを励ましてくれている気がして。ふわふわした体を撫でさせてもらっているだけで救われるような。」

探していた誰かは自分だった

3年ほど続いた婚活生活に見切りをつけた鬼海さんは色々悩んだ末に決意を固める。「お見合いするのも嫌になってきて、もういいや。もう自分がやるしかないと決めました。」えいと決めて仏門に入った鬼海さん。そこには古着屋時代とはまた一味違う大変な世界が待っていた。ちなみにあれ程頑張っていた婚活はやめた途端にいい巡り合いがあったそうで。「それが今の夫です。ご縁というのは不思議ですね。」

「10年の空白があったので心身がたるんでいるわけですよ。住職を目指すのってこんなに大変なの?って思いましたね。」

得度。あるお寺の住職に師事して日常的な勤行を学ぶ。さらに年に1度、浄土宗の養成道場に入って3週間みっちり修行を積む。「何が大変かって40代からの団体生活ですよ。女子寮みたいなところに入ってスマホも取り上げられて外界の情報は一切遮断。早寝早起きは当たり前で、礼拝といって念仏を延々と唱えながら立ったり座ったりを繰り返す…まさに、軍隊のような厳しい合宿生活でした。」合計3年間の修行期間を経て浄土宗教師の資格を得た鬼海さん。晴れて24代目住職として実相寺に戻ったのが2019年のこと。「まさか継いですぐコロナ禍が待っているなんてね…」

鬼海さんがこれからやってみたい事

毎年5月は実相寺のお祭りの季節だった。夜の帳が下りると本堂前の常夜灯に明かりがともり、扉の前に暗幕が掛かって映画上映の準備が始まる。境内には屋台が立ち並び、周りを子供達が走り回る。檀家さんだけじゃなく十日町のご近所さんも祭りの雰囲気を楽しんでいる。「そんな光景がコロナ前は当たり前にあったんです。なので昨年の寺フェスはその復活の予告編みたいなものです。」鬼海さんはそういったイベントをもっと増やしていきたいと考えている。

「日本ってコンビニよりもお寺の数が多いって知ってました?」言われてみると確かに行く先々にお寺があるような。そういえば仏様って身近な存在だ。盆と正月にはお墓参りをするし、仏壇には線香を備える習慣がある。そんな風に仏教的なお勤めは私たちの生活様式に溶け込んでいる。「だからお寺というものをもっと身近に感じてもらいたいんですよ。」と鬼海さん。「振り返ると色々ありました。だけど修行の過程やお寺を継いでから学んだことや気づかされたことが沢山あります。20代、30代は自分のことばかり考えていけど、これからは何かに迷ってる人とか、困っている人を楽にしてあげたいんです。そんなに頑張らなくていいんだよって。」

「私は、お寺に生まれたわりには、仏教が何かってあまり分からなかった。だけど、僧侶になり仏教を勉強した事で、目線が変わって楽になったんです。仏様を信じるものとして、仏様はこう言っていたよとか。こんな言葉があるよと、色々な教えをたくさんの人に伝えたいんです。」と鬼海さんは言葉を続ける。

「何もかも自分でやろうとしないで、思い切って誰かに頼るのも悪くないよと。もしかすると古着屋さんの頃だってあんなに苦労はしなくて済んだかもしれない。」

「なので昨年のイベントは、初めての自分主催ということもあって、イベント運営については何も分からず、キッチンカーなどの依頼も実際食べに行ってお願いしたり…やり切れるか不安だったけれど、縁が縁を呼び、今までの経験、古着屋で培ったものなどが、いい感じにまとまって、気づいたら、会場設営や、当日の運営を友達やお寺で付き合いの業者さん、町内の方等…とにかく色んな方が支えてくれました。」これも他力のなせる業なのかもしれない。

「私もまだ勉強中の身ですが、こんな私だから伝えられることもあると思うんです。」山あり谷ありを乗り終えた鬼海さんは、決してその歩みを誇ることなく日々淡々と勤めを果たしている。私も今回話を聞いて何か楽になった気がする。これからも時々実相寺に足を運んでみたくなった。