山形の企業 2025.01.21

一本の鍼とみち

東洋医学発祥の地・中国では難病をも治すといわれる鍼灸。その可能性に魅せられ何度となく中国へ渡り、現在は山形市内を中心に往診専門の鍼灸師として活躍する熊澤竜也さん。

 

その本場仕込みの診療スタイルは中国古典由来の臨床応用と、文字面だけ追っていくと何だか難しそう…ですが、実のところ私は熊澤さんの鍼ユーザー。折りにふれて体のメンテナンスをお願いしている間柄。そこでちょっとおこがましい話かもしれませんが、私自身やみつきになっている鍼と、熊澤さんのお人柄等をこの記事を通してすこしでも多くの方へ伝えられたらと思います。

INFORMATION
熊澤竜也(青天堂)
熊澤竜也(青天堂)

山形県天童市出身。専門学生時代より鍼灸を学び、卒業後に大阪勤務を経て中国・北京へ留学。国家級老中医とよばれる張士傑氏に師事し、帰国後山形で開業。その治療範囲は、腰痛や肩こりなど運動器疾患から冷え性、不眠症などの内的症状まで幅広く対応している。

 

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対話のように鍼を打つ

もし突然ぎっくり腰になってしまった時、いくつかある選択肢の中から鍼を選ぶ人はどれくらいるだろうか。整体、接骨院、カイロプラクティック、そして鍼。そもそも「鍼って何か痛そう」と思わず敬遠する人が多いのではと思う。私もその一人だった。ところが私の鍼初体験は、なし崩し的な唐突なものだった。

「あぁ、これは鍼だねぇ。」

今から10数年前、突然ぎっくり腰に襲われた私は、当時の勤務先近くにある接骨院にヨロヨロと駆け込んだ。その時観てくれた先生は、私の状態をみるなりおもむろに針を取り出し、そのまま私の腰にブスブスと針を刺し始めた。あまりにも突然の出来事だったため痛みだとか効果があったかなどの記憶はなく、ただただ怖い…それだけだった。

鍼の印象が変わったのはそれから数年後、親が結構通っている米沢の実家近くの鍼灸院に行った時のこと。この時も腰案件であったが、ここでは短くて細めの針をパチパチと打つ。という感じで痛みはそれほどなく、その後の経過もよかったので、鍼というものが好きになりかけていたが、住まいを東根へ越してからは通う機会が減ってしまった。もちろん近辺にも鍼灸院はいくつかあるが、一見さんで行くのはやっぱり少し怖い…そんな時に出会ったのが熊澤さんであった。

熊澤さんは往診と呼ばれる出張施術を専門としている。基本的に予約制であり、こちらの都合のいい時間に合わせて、仕事場や自宅に来てくれる。しかも組立式の治療台も持ってきてくれるので場所を選ばず診てもらえるのはありがたい。

ここからは治療の一例を紹介したい。流れとしてはまず問診から始まる。痛みの具合や近況の変化(日常生活や仕事の忙しさ)などを聞き取り、次に脈をとる。その後舌の色や形を診る舌診を経て、実際に針を打っていく刺鍼へとうつる。

治療で用いる針は糸のように細く短いもので、これを一本ずつ、トントントンと経穴と呼ばれる所謂ツボへ、静かに打ち込んでいく。はじめは患部から離れた部分から、徐々に患部へ向けて近づいていくイメージ。

痛みについては、少しチクっとするぐらいで、むしろ心地よい刺激といった感じですらある。熊澤さんは柔らかい雰囲気の持ち主で、どちらかといえば話上手とうより聞き上手。さり気ない世間話などはさみながら治療を進んでいく。

時折、針が一定の深さへ到達すると若干鈍い感触を覚えるが、これは鍼による治療効果の一つとされる「響き」というもので、その時の患者のちょっとした反応や表情の変化をみて熊澤さんはスッと針を抜き、次の箇所へまたトントントンと針を打っていく。

響きがあまり感じられない場合はそのまま針を留めておいて、近くへもう一本打つ。すると二本の針が連動するかのように新しい響きがやってくる。そして針を抜く。これを繰り返していくことで体内の気が整い治療効果が高められていく、また、響きにも段階があるらしく、熊澤さんは「痛みの変化や違和感はないですか?」と丁寧に聞きながら針の太さや本数、打ち込む深度を微調整していく。

その後、刺針は足首へ移行していく。実はこの足首への施術こそが冒頭でふれた熊澤さんの源流に繋がっていくという。「鍼灸」と一口でいっても様々な型が存在する。熊澤さんの場合は本人曰くゴリゴリの古典派らしいが、もっと具体的に知りたいと思い色々聞いてみると先程の聞き上手が一転してもう話が止まらない!(笑)

これは熊澤さんが常に携えている中医学の経典的存在である冊子。そこで私は熊澤さんの治療スタイルの源流を訊くと共に、今に至るまでの道のりなども教えてもらうことにした。熊澤さんが鍼の道へと進む大きなきっかけとなった中国研修、そして張士傑氏との出会いは本人が専門学生時代まで遡る。

物語のように中国は遠い

中学・高校時代は陸上少年だった熊澤さんは、その時負った肉離れの治療でぐうぜん鍼を知る。また、仲の良かったいとこが柔道整復師をしていたこともあり、おぼろげながら「体を治す仕事」「人の役に立てる仕事」に興味を持ちはじめるが、あくまでも何となく。その後、高校生活も終盤にさしかかり、進路に悩むの熊澤さんは悩んだ。ずっと好きだった陸上を大学でも続けるか、それとも専門学校に進むか?とはいえ何を専攻すればいいのか…そこでポッと浮かんできたのが「鍼」だったという。

「でも、その段階ではまだまだ漠然としたイメージしか持っていませんでした。専門に行って鍼の資格が取れたら自分で開業するのかな…というくらいで。」

そんな軽い感じで仙台の赤門鍼灸柔整専門学校に進学した熊澤さんだったが、一年生時代に参加した、あるセミナーで転機が訪れる。「中国と日本の鍼灸の違いと現状」と題するセミナーで熊澤さんは、

という事実に衝撃をうける。偶然とはいえ、この時はじめて自分の選んだ道に可能性を見出した熊澤さんは、鍼というものをもっと深く学びたいと思い立ち留学を決意。その翌年、初の中国研修に参加した熊澤さんは、後の師となる張士傑氏と出会う。

「一目見てわかりました。オーラが違う。」

同氏の滲み出る人柄や威厳に圧倒された熊澤さん。また、本場中国の現場を自分の目で見たことでますます中国留学への思いは強くなり、道が定まれば突き進むのみと、在学中にしっかり鍼灸の基礎を学び、国家資格を取得。次の段階として留学資金を貯めるため卒業後すぐに大阪へ飛んだ。

その後、独学で中国語を勉強しながら、5年間みっちり働いて準備を整えた熊澤さんは、2013年より北京で留学を開始し、その一年後に張士傑氏の門下生としての日々がスタートする。こうして3年間の留学を経て自他ともに認める鍼灸の技術を身につけた熊澤さんは帰国後地元山形に戻り、いち鍼灸師としての道を歩みはじめる。

留学中に同席した張士傑氏の診療光景
張士傑氏とツーショット

それにしても熊澤さんの鋼のような意思。横道に逸れがちで一貫性のない人生を送ってきた私にとっては熊澤さんの歩みはとても眩しいものに見えた。そこで「今までにつらかったことはありませんか?」と聞いてみたところ、

「もちろんありますよ!しんどい時期が2度、ありました。」
と、意外な答えが返ってきた。

「1度目は大阪時代。思った以上に留学資金が貯まらず、掛け持ちで二軒のマッサージ店に勤務しまして、1日の睡眠時間が3時間という日もありました。この時期は体力的にきつかったです…」そして2度目は帰国後だという。仙台、大阪、中国と合わせて11年間過ごしてきた熊澤さんにとって、地元山形の基盤は強いものではなかった。

「端的に言えばツテがなかったんです。広告にかける予算もなく、宣伝もできないので開店休業状態がひたすら続いていました。」

焦りを感じた熊澤さん。まずは生活しなければどうしようもない。ということでマッサージ店に勤めることに。そして仕事の空き時間に鍼の仕事を請けて…と思ったのはいいが依頼はどこからくるんだという状況であった。せっかく鍼を学んできたのにこれを実践する機会がないという現実がのしかかる。そこで熊澤さんは思い切った行動にうって出る。今まで何度も渡った中国研修へ再び参加したのだ。

「時間はありましたから(笑)、とにかく腕を錆びつかせたくない。重要なのはその1点のみでした。」

それから4年後の2022年、熊澤さんはついに一人の鍼灸師として完全独立を果たす。青天堂の開業である。ところがこの年はまだコロナ禍の真っ最中、なんと独立2週間後にコロナに罹ってしまう。「もうここまでくるのに12年待ちましたからね。2週間の待機ぐらいどうってことないですよ。」

長い溜めの期間を経て、熊澤さんはタフになっていた。

青天へ、翔けていく

青天堂を開業してからの熊澤さんは多忙である。まず、嬉しいことに口コミや紹介によって患者さんがどんどん増えている。患者さんの年齢は50代以降、特に飲食店をはじめ自営業の方が多く、皆お客さん中心の生活サイクルを送る中で疲労をためやすく、定期的な通院が難しい人ばかりだ。そんな不規則な日々を送る患者さんにとって、ちょっとした空き時間や都合のいい時に来てくれる熊澤さんの存在は貴重だという。

地道な努力が実りはじめた。

また、鍼灸師会に所属する熊澤さんは学会の場で、現在治療中というパーキンソン病の患者さんへの治療経過や治療効果を発表する機会にめぐまれた。その話を聞いた私は「熊澤さんがこの道を志したきっかけが、鍼が難病治療に用いられていることを知った時だったと思います。やっとここに到達した!という気持ちもあるのでは?」と聞いてみた。

「言われてみるとそうかもしれませんね。ですが張士傑先生のところには西洋医学で治療できなかった症状や原因不明の痛みを抱えた患者さんがたくさん来ていましたし、まだまだ学ぶべきことは山ほどあるんです。」

事実、熊澤さんは今でも研鑽を続けている。共に留学時代を過ごした張士傑氏の兄弟子達と月に一度、ZOOMで情報交換をしたり、日本鍼灸師会での交流もそう。ここで、私は的外れを覚悟してこんな質問をぶつけてみた。「よく伝統芸能の演者さんなどは50代で一人前、60代で全盛期を迎えるなんて聞きます。鍼の道もそれと似た部分があったりしますか?」

「まさに近いものがあるかもしれません。それに『いつまでも自分は未熟者である』という気持ちは常に持ち続けていたいと思うんです。」

「なんなら時間があれば、今でも中国に渡りたいと思っています(笑)」

ちょっと計算してみて驚いたのが、専門学生時代の研修から数えると熊澤さんが中国に渡った回数はなんと14回。熊澤さんの原点でもあり、心の故郷となっている中国。そこから生まれた中医学の鍼。熊澤さんが師から受け継ぎ、いつも大切に持ち歩いている前述の冊子「霊枢」にはこんな言葉が書かれている。

「刺之要,氣至而有效.效之信.若風之吹雲.明乎若見蒼天.」

これは、風が雲を吹き飛ばし、青空が見えるような感覚があり、すぐにはっきりとした効果を得る。という意味である…屋号の「青天堂」はまさにこの一文から取ったもの。熊澤さんは今日も鍼を打ち続ける。患者さんの青天を目指して。