山形の企業 2024.11.21

心も体も晴れ晴れと

一本の鍼とみち

東洋医学発祥の地・中国では難病をも治すといわれる鍼灸。その可能性に魅せられ何度となく中国へ渡り、現在は山形市内を中心に往診専門の鍼灸師として活躍する熊澤竜也さん。

 

その本場仕込みの診療スタイルは「中国古典由来の臨床応用」。と文字面だけ追っていくと何だか難しそうですが、かくゆう私は熊澤さんの鍼ユーザー。折りにふれ体のメンテナンスをお願いしている間柄であり、おこがましい話かもしれませんが、私自身やみつきになっている鍼と、熊澤さんのお人柄を当記事を通して多くの方へ伝えられたらと思いペンを取った次第なのです。

INFORMATION
熊澤竜也(青天堂)
熊澤竜也(青天堂)

山形県天童市出身。専門学生時代より鍼灸を学び、卒業後は大阪勤務を経て中国・北京へ留学。東洋医学において国家級老中医とよばれる張士傑氏に師事し、帰国後山形にて開業。その治療範囲は幅広く腰痛や肩こりなど運動器疾患から冷え性、不眠症などの内的症状まで対応。言葉では表しにくい原因不明の不調でも相談にのってもらえるのが心強い。

 

Facebook : https://www.facebook.com/profile.php?id=100008135623960

対話のように鍼を打つ

もし突然ぎっくり腰になったとしたら…整体、接骨院、カイロプラクティック、そして鍼。いくつかの選択肢から鍼を選ぶ人はどれくらいるだろうか。そもそも「鍼って何か痛そうで怖い。」と思わず敬遠する人が多いのではないでしょうか。ちなみに私の鍼初体験もそんな感じで、むしろお願いしていないけど半強制的に打たれてしまった…という状況であった。

「あぁ、これは鍼だねぇ。」

今から10数年前、不意のぎっくり腰より、腰が真っ直ぐ伸ばせなくなってしまった私は、たまたま勤務先の目の前にある接骨院の扉を開いた。その時観てくれた先生はうつ伏せ状態の私を診るなり針を取り出し、おもむろに私の腰へブスブスと針を刺し始めた。あまりにも突然の出来事だったため、その時の痛みだとか鍼自体に効果があったかなどの記憶はない。ただただ怖かった…それだけである。

私の鍼に対する印象が変わったのはそれから数年後、親の紹介で米沢の実家近くの鍼灸院に行った時だ。ここでは細めの短い針が使われ、それゆえなのか痛みも殆どなく、その後の経過もよかったこともあってか私の鍼に対する抵抗感はようやくなくなった。ところが住まいを東根へ越してからというもの、そこに通うのもままなならなくなり(片道3時間弱はけっこうきつい)、もちろん近辺にも鍼灸院はあるにはあったが、一見さんで鍼を打ってもらうのはやっぱり怖い。そんな時に出会ったのが熊澤さんであった。

熊澤さんは「往診」と呼ばれる出張施術を専門としている。組立式の治療台を常備しているので、そのフットワークの良さを活かして自宅はもちろん仕事場でも場所を選ばず診てもらえるのはありがたい。主な客層を聞くと飲食業をはじめ不規則な時間帯で働く方が多いというのも納得だ。

治療流れとしてまず問診から。痛みの具合や近況の変化(日常生活や仕事の忙しさ)などを丁寧に聞き取り、脈をとってから舌の色や形を診る舌診に。「東洋医学では舌は人の状態を表す鏡なんですよ。」と熊澤さん。その後、実際に針を打っていく刺鍼へうつる。

治療で用いる針は糸のように細く短いもの。これを一本ずつ、トントンと私たちがツボと呼ぶ「経穴」へと静かに打ち込む。はじめは患部から離れた部分から、徐々にそこへ向けて近づいていくイメージで、トントントンと打ち込んでいく。

痛みについては、少しチクっとするぐらいで、むしろ心地よい刺激といった感じ。熊澤さんは柔らかい雰囲気の持ち主で、どちらかといえば話上手とうより聞き上手。さり気ない世間話などはさみながら治療を進んでいく。「なんなら眠っていただいても大丈夫ですよ。」と熊澤さん。

時折、ずずっと針が一定の深さへ到達すると若干鈍い感触を覚える。これは鍼による治療効果の一つとされる「響き」というもので、その時の患者のちょっとした反応や表情の変化をみて熊澤さんはスッと針を抜き、次の箇所へまたトントントンと針を打っていく。

症状が重かったりすると響きがあまり来ない場合もあるという。そういう時はそのまま針を抜かず、その近くへもう一本。すると二本の針が連動するかのように新しい響きがやってくる。慎重に患者さんの反応を見ながら針を抜く。この繰り返しによって体内の気が整い治療効果が高められていくという。

熊澤さんの刺鍼はとにかく丁寧だ。「痛みの変化や違和感はないですか?」と些細な反応も見逃さず、針の太さや本数、打ち込む深度を微調整していく。「患者さんの体調や気分によって響きは変わってきます。それにその日の気圧など、ちょっとしたことが影響するんですよ。」

その後刺針は足首へ。この施術こそが冒頭でふれた熊澤さんの源流に繋がっていくという。「鍼灸」と一口でいっても様々な型や流派存在する(ちなみに熊澤さんは自身をゴリゴリの古典派と例える)らしい。熊澤さんのルーツについてもっと詳しく聞きたいと伝えると、バックの中から何やら古めかしい書物を取り出した熊澤さん。

これは熊澤さんが常に携えている中医学の経典的存在である冊子。なかなか目にできるものではないと思い、私は熊澤さんに自身のルーツを訊くと共に、今日に至るまでの道のりなども教えてもらうことにした。「喜んで!」と目を輝かせた熊澤さん。自身が鍼の道へと進む大きなきっかけとなった中国研修、そして張士傑氏との出会い、さらには専門学生時代まで遡って色々話してもらった。

物語のように中国は遠い

中学・高校時代は陸上少年だった熊澤さんはその時負った怪我がきっかけで鍼を知る。また偶然にも従兄弟が柔道整復師をしていたこともあり、おぼろげながら「体を治す仕事」「人の役に立てる仕事」に興味を持ちはじめる。があくまでも何となくであった。その後高校生活も終盤にさしかかった頃、進路について悩んでいた熊澤さん。ずっと好きだった陸上を大学でも続けるか、就職するか、それとも何か手に職つけるために専門学校に進むか?とはいえ何を学ぶべきか…そこでポッと浮かんできたのがあの「鍼」だったという。

「ただ、その段階ではまだまだ漠然としたイメージしか持っていませんでした。専門学校に進めば鍼の資格が取れるだろう。卒業したら開業できるかな…というくらいで。」

そんなふわっとした青写真を描き仙台の赤門鍼灸柔整専門学校に進学した熊澤さん。朧げなイメージが変わり始めたのは一年生時代に参加したあるセミナーがきっかけであった。「中国と日本の鍼灸の違いと現状」と題するセミナーで熊澤さんは、

という事実を知る。「衝撃でした。」この時はじめて自分の選んだ道に可能性を見出した熊澤さんは、鍼というもののルーツを深く学びたい、本場に行ってみたい!と思い立ち「だったら留学しかない!」とそれまでなんとなく学んでいたを鍼灸をより真摯に学ことを決意した。その翌年、初の中国研修に参加した熊澤さんは、後の師となる張士傑氏と運命的出会いを果たす。

「一目見てわかりました。オーラが違う。」

同氏の滲み出る人柄や威厳に圧倒された熊澤さん。また、本場中国の現場を自分の目で見たことでますます中国留学への思いは強くなった。道が定まれば突き進むのみ。在学中にしっかり鍼灸の基礎を学び、国家資格を取得。次の段階として留学資金を貯めるため卒業と同時に大阪へ飛んだ。「実は大阪って国内で最も鍼が盛んな地域なんです。」

大阪の地で独学で中国語を勉強しながら、5年間みっちり働いて留学への準備を整えた熊澤さんは、2013年より念願の北京へ。そしてその一年後に張士傑氏の門下生としての日々がスタートする。

留学中に同席した張士傑氏の診療光景
張士傑氏とツーショット

3年間の留学を経て自他ともに認める鍼灸の技術と知識を習得熊澤さんは帰国後地元山形に戻り、いち鍼灸師としての道を歩みはじめる。それにしても熊澤さんのブレない鋼のような意思。横道に逸れがちで一貫性のない人生を送ってきた私にとって熊澤さんの歩みはとても眩しいものに見えた。「今までにつらかったことはありませんか?」と聞いてみたところ、

「もちろんありますよ!しんどい時期が2度、ありました。」
と、意外な答えが返ってきた。

「1度目は大阪時代。思った以上に留学資金が貯まらなくて、掛け持ちで二軒のマッサージ店に勤務しまして、1日の睡眠時間が3時間という日もありました。この時期は体力的にきつかったです。」そして2度目は帰国後、山形に戻った始めの時期だという。高校卒業後は仙台、大阪、中国と合わせて11年間県外で過ごしてきた熊澤さんにとって生まれ故郷の山形の基盤はそれほど強いものではなかった。

「地元でのツテがなかったんです。資金面は留学費用に費やして他ので広告にかける余裕もなく、宣伝もままならないので開店休業状態がひたすら続いていました。」

焦りを感じた熊澤さん。まずは生活しなければどうしようもない。ということでマッサージ店に勤めることに。仕事の空き時間に鍼の仕事を請けていこう。と思ったのはいいがその依頼はどこからくるんだという状況であった。せっかく鍼を学んできたのにこれを実践する機会がないという現実がのしかかる。そこで熊澤さんは思い切った行動にうって出る。今まで何度も渡った中国研修へ再び参加したのだ。

「時間はありましたから(笑)、とにかく腕を錆びつかせたくない。重要なのはその1点のみでした。」

それから4年後の2022年、熊澤さんはついに一人の鍼灸師として完全独立を果たす。青天堂の開業である。ところがこの年はまだコロナ禍の真っ最中、なんと独立2週間後に熊澤さん本人がコロナに罹ってしまう。「もうここまでくるのに12年待ちましたからね。2週間の待機ぐらいどうってことないですよ。」

長い長い溜めの期間を経て、熊澤さんはタフになっていた。

青天へ翔けていきたい

青天堂を開業してからの熊澤さんは多忙である。まず嬉しいことに口コミや紹介によって患者さんがどんどん増えている。患者さんの年齢は50代以降、特に飲食店をはじめ自営業の方が多い。常にお客さん中心の生活サイクルを送り疲労をためやすく、定期的な通院が難しい人ばかりだ。そんな不規則な日々を送る患者さんにとって、ちょっとした空き時間や都合のいい時に治療にあたってくれる熊澤さんの存在は貴重だという。

地道な努力が実りはじめた。

また、鍼灸師会に所属する熊澤さんは学会の場で、パーキンソン病の患者さんへの治療経過や治療効果を発表する機会にめぐまれた。熊澤さんがこの道を志したきっかけが、鍼が難病治療に用いられていることを知った時だったはず。ついにここまで到達した!という気持ちもあるのではないだろうか。

「言われてみるとそうかもしれませんね。ですが張士傑先生のところには西洋医学で治療できなかった症状や原因不明の痛みを抱えた患者さんがたくさん来ていましたし、まだまだ学ぶべきことは山ほどあるんです。」

事実、熊澤さんは今でも研鑽を続けている。全国に散らばっているという留学時代を共に過ごした張士傑氏の兄弟子達と月に一度ZOOMで情報交換をしたり、日本鍼灸師会での交流もそうだ。ここで、私は的外れを覚悟してこんな質問をぶつけてみた。「よく伝統工芸や演芸など求道者と呼ばれる方は50代で一人前、60代で全盛期を迎えるなんて聞きますが、鍼の道もそれと似た部分があったりしますか?」

「まさに近いものがあるかもしれません。それに『いつまでも自分は未熟者である』という気持ちは常に持ち続けていたいと思うんです。」

「なんなら時間があれば、今でも中国に渡りたいと思っています(笑)」

ちょっと計算してみて驚いたのが、専門学生時代の研修から数えると熊澤さんが中国に渡った回数はなんと14回。熊澤さんの原点でもあり、心の故郷となっている中国。そこから生まれた中医学の鍼。熊澤さんが師から受け継ぎ、いつも大切に持ち歩いている前述の冊子「霊枢」にはこんな言葉が書かれている。

「刺之要,氣至而有效.效之信.若風之吹雲.明乎若見蒼天.」

これは、風が雲を吹き飛ばし、青空が見えるような感覚があり、すぐにはっきりとした効果を得る。という意味である…屋号の「青天堂」はまさにこの一文から取ったもの。熊澤さんは今日も鍼を打ち続ける。患者さんの青天を目指して。