対話のように、鍼を打つ

もし突然ぎっくり腰になったとしたら…整体、接骨院、カイロプラクティック、そして鍼。数ある選択肢から真っ先に鍼を選ぶ人はどれくらいるだろう。そもそもが「何か痛そう」「怖い」と敬遠されがちな鍼。私も初めはそうだった。というか気がついたら打たれていた…という苦い思い出が鍼との出会いでした。
「あぁ、これは鍼だねぇ。」
今から10数年前、不意にぎっくり腰に襲われ、腰が真っ直ぐ伸ばせなくなってしまった私は、たまたま当時の勤務先の目の前にあった接骨院の扉を開いた。そこの先生はうつ伏せ状態の私を診るなり針を取り出し、おもむろに私の腰へブスブスと針を刺し始めた。あまりにも突然の出来事だったため、痛みだとか鍼自体に効果があったかなどの記憶はない。ただただ怖かった…それだけである。
鍼に対する印象が変わったのはそれから数年後、親の紹介で米沢の実家近くの鍼灸院に行った時。ここは「これが鍼?」と思うほど細くて短い針を使っていて、痛みも殆どなくその後の経過もよかったこともあり、鍼に対する抵抗感はようやく払拭され、むしろ気持ち良くて好きになったぐらいである。ところが住まいを東根へ越してからというもの、そこに通うのもままなならなくなり(片道3時間弱はけっこうきつい)、近所に鍼灸院はあるにはあったが一見さんで鍼を打たれるのやっぱり怖い…そんな時に出会ったのが熊澤さんであった。


熊澤さんは「往診」と呼ばれる出張施術専門としている。組立式の治療台を常備し、そのフットワークの良さを活かして自宅はもちろん職場でも場所を選ばず診てくれる。聞けば昼時や夕方以降も対応してくれるようで飲食業や不規則な時間帯で働く方が主な客層というのも納得だ。
施術の流れはまず問診から。痛みの具合や近況の変化(日常生活や仕事の忙しさ)などを丁寧に聞き取り、脈をとってから舌の色や形を診る舌診に。「東洋医学では舌は人の状態を表す鏡なんですよ。」と熊澤さん。その後、患部に針を打つ刺鍼へうつる。

熊澤さんが使う針は糸のように細く短いもの。これを一本ずつ、トントンと私たちが普段ツボと呼ぶ「経穴」へ静かに打つ。はじめは患部から離れた部分から、徐々にそこへ近づいていくイメージで、トントントンと打ち込んでいく。
痛みについては、少しチクっとするぐらいで、むしろ心地よい刺激といった感じ。熊澤さんは柔らかい雰囲気の持ち主で、どちらかといえば話上手とうより聞き上手。さり気ない世間話などはさみながら治療を進んでいく。「なんなら眠っていただいても大丈夫ですよ。」と熊澤さん。
時折、ずずっと針が一定の深さへ到達すると若干鈍い感触を覚える。これは鍼による治療効果の一つとされる「響き」というもので、その時の患者のちょっとした反応や表情の変化をみて熊澤さんはスッと針を抜き、次の箇所へまたトントントンと針を打っていく。

症状が重かったりすると響きがあまり来ない場合もあるという。そういう時はそのまま針を抜かず、その近くへもう一本。すると二本の針が連動するかのように新しい響きがやってくる。慎重に患者さんの反応を見ながら針を抜く。この繰り返しによって体内の気が整い治療効果が高められていくという。
熊澤さんの刺鍼はとにかく丁寧だ。「痛みの変化や違和感はないですか?」と些細な反応も見逃さず、針の太さや本数、打ち込む深度を微調整していく。「患者さんの体調や気分によって響きは変わってきます。それにその日の気圧など、ちょっとしたことが影響するんですよ。」
その後刺針は足首へ。この施術こそが冒頭でふれた熊澤さんの源流に繋がっていくという。「鍼灸」と一口でいっても様々な型や流派存在する(ちなみに熊澤さんは自身をゴリゴリの古典派と例える)らしい。熊澤さんのルーツについてもっと詳しく聞きたいと伝えると、バックの中から何やら古めかしい書物が取り出される。

黄帝内径…?
これは熊澤さんが常に携えているという、中医学の経典的存在にあたる冊子。なかなか目にできるものではないと思い、私は熊澤さんの施術スタイルのルーツと共に、今日に至るまでの道のりなど訊きたくなった。「喜んで!」と目を輝かせてくれた熊澤さん。鍼の道へと進む大きなきっかけや恩師となる張士傑氏との出会い、さらに鍼灸師するまでの経緯やらを嬉しそうに話してくれた。
物語のように中国は遠い

中学・高校時代は陸上少年だった熊澤さんはその時負った怪我がきっかけで鍼を知る。偶然にも従兄弟が柔道整復師をしていたこともあり、おぼろげながら人の体を治す仕事ってすごいと思ったという。が、あくまでも何となくの感情であった。その後高校生活も終盤にさしかかった頃、進路について悩んでいた熊澤さん。「特にやりたいことがなかったんです…」
ずっと好きだった陸上を大学でも続けるか、就職するか、それとも何か手に職つけるために専門学校に進むか?そこで浮かんできたのがあの「鍼」である。せっかくなら人の役に立てる仕事をしたいかな?「ただ、その段階ではまだまだ漠然としたイメージしか持っていませんでした。専門学校に進めば鍼の資格が取れるだろう。卒業したら開業できるのかな。」
そんなふわっとした青写真を描き、仙台の赤門鍼灸柔整専門学校に進学した熊澤さん。朧げなイメージが変わり始めたのは一年生時代に参加したあるセミナーがきっかけであった。そのテーマは「中国と日本の鍼灸の違いと現状」。ここで熊澤さんは自分がなんとなく選んだ道の価値を知る。
- 鍼の本場中国で鍼灸の存在は医療と同格あること
- 老中医と呼ばれる鍼灸師が難病はじめ西洋医学で治せなかった病気にあたっている
「ただただ衝撃でした。」
この時、はじめて自身の明確な将来像と可能性を見出した熊澤さんは、鍼についてもっと深く学びたい、鍼の本場に行ってみたい。留学したい!となんとなく学んでいたを鍼灸をより真摯に学ことを決意し、その翌年、初の中国研修に参加した熊澤さんは、後の師となる張士傑氏と運命的出会いを果たす。
「一目見てわかりました。オーラが違う。」
同氏の滲み出る人柄や威厳に圧倒された熊澤さん。そして本場中国の施術現場をこの目で見たことで、ますます中国留学への思いは強くなった。道が定まれば突き進むのみ。在学中にしっかり鍼灸の基礎を学び、国家資格を取得。次の段階として留学資金を貯めるため卒業と同時に大阪へ飛んだ。
「実は大阪って国内で最も鍼が盛んな地域なんです。」この地で独学で中国語を勉強しながら、5年間みっちり働いて留学への準備を整えた熊澤さんは、2013年より念願の北京へ。そしてその一年後に張士傑氏の門下生としての日々がスタートする。


3年間の留学を経て自他ともに認める鍼灸の技術と知識を習得熊澤さんは帰国後地元山形に戻り、いち鍼灸師としての道を歩みはじめる。それにしても熊澤さんのブレない意思。横道に逸れがちで一貫性のない人生を送ってきた私にとって熊澤さんの歩みはとても眩しいものに見えた。「今までにつらかったことはありませんか?」と聞いてみたところ意外な答えが返ってきた。
「もちろんありますよ!しんどい時期が2度、ありました。」
「1度目は大阪時代。思った以上に留学資金が貯まらなくて、掛け持ちで二軒のマッサージ店に勤務したんです。睡眠時間が3時間という日もありました。この時期は体力的にきつかったです。」そして2度目は帰国後、山形に戻りたての時期。高校を出て仙台、大阪、中国と合わせて11年間県外で過ごしてきた熊澤さんにとって生まれ故郷の山形の基盤はそれほど強いものではなかった。
「地元でのツテがなかったんです。資金面は留学費用に費やして他ので広告宣伝にかける余裕もなく、まず存在を知ってもらえないので開店休業状態がひたすら続いていました。」焦りを感じた熊澤さん。まずは生活しなければどうしようもないということでマッサージ店に勤めることに。「空き時間に鍼の仕事を請けていこう。」と思ったのはいいがその依頼はどこからくるんだという状況。せっかく鍼を学んできたのにこれを実践する機会がないという現実がのしかかる。そこで熊澤さんは思い切った行動にうって出る。今まで何度も渡った中国研修へ再び参加したのだ。
「時間はありましたから(笑)、とにかく腕を錆びつかせたくない。重要なのはその1点のみでした。」
それから4年後の2022年、熊澤さんはついに一人の鍼灸師として完全独立を果たす。青天堂の開業である。ところがこの年はまだコロナ禍の真っ最中、なんと独立2週間後に熊澤さん本人がコロナに罹ってしまう。「もうここまでくるのに12年待ちましたからね。2週間の待機ぐらいどうってことないですよ。」
長い長い溜めの期間を経て、熊澤さんはタフになっていた。
青天へ翔けていきたい

青天堂を開業してからの熊澤さんは多忙である。まず嬉しいことに口コミや紹介によって患者さんがどんどん増えている。患者さんの年齢は50代以降、特に飲食店をはじめ自営業の方が多い。常にお客さん中心の生活サイクルに身を置き、疲労をためやすく定期的な通院が難しい人ばかりだ。そんな不規則な日々を送る患者さんにとって、ちょっとした空き時間や都合のいい時に治療にあたってくれる熊澤さんの存在は貴重だという。
地道な努力が実りはじめた。
また、鍼灸師会に所属する熊澤さんは学会の場で、パーキンソン病の患者さんへの治療経過や治療効果を発表する機会にめぐまれた。熊澤さんがこの道を志したきっかけが、鍼が難病治療に用いられていることを知った時だったはず。ついにここまで到達した!という気持ちもあるのではないだろうか。
「言われてみるとそうかもしれませんね。ですが張士傑先生のところには西洋医学で治療できなかった症状や原因不明の痛みを抱えた患者さんがたくさん来ていましたし、まだまだ学ぶべきことは山ほどあるんです。」事実、熊澤さんは今でも研鑽を続けている。全国に散らばっているという留学時代を共に過ごした張士傑氏の兄弟子達と月に一度ZOOMで情報交換をしたり、日本鍼灸師会での交流もそうだ。ここで、私は的外れを覚悟してこんな質問をぶつけてみた。「よく伝統工芸や演芸など求道者と呼ばれる方は50代で一人前、60代で全盛期を迎えるなんて聞きますが、鍼の道もそれと似た部分があったりしますか?」
「まさに近いものがあるかもしれません。それに『いつまでも自分は未熟者である』という気持ちは常に持ち続けていたいと思うんです。」
「なんなら時間があれば、今でも中国に渡りたいと思っています(笑)」
改めて聞いて驚いたのが専門学生時代の研修から数えると熊澤さんが中国に渡った回数はなんと14回。熊澤さんの原点でもあり、心の故郷となっている中国。そこから生まれた中医学の鍼。熊澤さんが師から受け継ぎ、いつも大切に持ち歩いている前述の冊子「霊枢」にはこんな言葉が書かれている。
「刺之要,氣至而有效.效之信.若風之吹雲.明乎若見蒼天.」
「これは、風が雲を吹き飛ばし、青空が見えるような感覚があり、すぐにはっきりとした効果を得る。という意味なんです。」屋号である「青天堂」はまさにこの一文から取ったもの。熊澤さんは今日も鍼を打ち続ける。患者さんの青天を目指して。

